魔王と阿修羅


丹波には光秀名君伝説が古くからあるという。その語り部は江戸期の庶民であり、戦国時代、国土・土豪の支配下にあった階層の人々だ。

中間搾取層を排除して地域住民を直接支配すると共に、余剰を戦費とするその政策は、他の大名家ではごく一部が、長い時間をかけて徐々に行ってきたものである。その積み重ねの先に近世以降の中央集権的な社会システムがあるといってよい。
その意味で光秀が丹波で行ってきたことは、近世的で急進的ゆえに革命的であったといえる。古来の伝統はもとより、下克上を象徴する国土・土豪といった在地領主の権益さえも否定するものであった。戦争という「有事」を利用しなければ不可能の荒療治である。
そしてこれは急速な勢力拡張によって多くの脆弱な支配地を抱える織田政権にとって、今後の指針となる在地支配の方法論の提示でもあった。光秀の方法を踏襲すれば、戦いながらも強固な支配は可能であると。

明智光秀は古典的教養に詳しい文化人のイメージがある。だが古典の教養があるからといって古典的世界が好きだとは一概に言えまい。20世紀の革命家達の多くが古典的な教養に詳しかったと想起していただきたい。
信長が革命家ならば光秀もまた革命家。信長が魔王ならば、光秀は阿修羅だったのだ。
文:樋口隆晴(軍事史研究家)より引用