光秀、石風呂を所望


吉田兼見の日記『兼見卿記』に始めて光秀が登場するのは元亀元年(1570)11月13日条である。
「明智十兵衛尉来たり、石風呂所望により焼き了ぬ」
光秀は兼見宅にある石風呂に入りに来たのである。石風呂は現代のサウナに近いものである。光秀はよほど気に入ったのか、10日後の23日にも再び石風呂を所望している。

他人の風呂に入るのはよほど親しい関係と思われ、光秀と兼見の付き合いがこれ以前に遡るのは確実である。

この頃は朝倉・浅井両軍が比叡山に陣取って織田方と長期対陣していた時期だった。光秀もそれに備えて勝軍山城(京都市左京区一乗寺)を守っていた。光秀は戦陣の合間に兼見宅にくつろぎに来たのであろう。

関連記事:親友・吉田兼見