家臣への労わり


光秀の家臣に対するいたわりは他の武将にはあまり見られないものがあった。
合戦で討ち死にした武士・中間を列記して近江国の西教寺に供養米を寄進しているのにはじめ、合戦で負傷した家臣に対しても、疵養成の見舞いの書状がいくつか残されている。

家臣に対するこうした思いやりが、本能寺の変という未曾有の謀反でも裏切り者を出すことなく成功させ、劣勢が予想された山崎の合戦でも旧幕府衆をはじめとした家臣に奮迅の働きをさせたのであろう。