小栗栖の死の謎

付録:光秀=天海説 光秀は本当に小栗栖で死んだのか!?

隊列の謎

一列で歩み敗走する明智軍の一行の真ん中に光秀がいたとされるが、雨が降り、漆黒の闇夜の竹やぶの中で、実行犯が誤ることなく光秀を狙えたのは何故だ?

実行犯の謎

光秀を突いたのは「一介の百姓中村長兵衛」とされるが、寛永年間に小栗栖で調査したところ、その人物を知る村人は皆無だった。(『醍醐随筆』)

甲冑の謎

「一軍の将」で「鉄砲上手」の光秀は「竹槍」で横から突かれただけで脇腹を貫通するような鎧を着ているはずはない

殉死者の謎

光秀と共に死んだはずの進士作左衛門、比田帯刀の二人が実は死んではおらず、細川興秋に仕えたことがわかっている(『細川家記』)
殉死が嘘ならば、光秀死亡説がすべて怪しくなる

影武者の謎

『美濃史』や『明智旧稿実録』では光秀に酷似した影武者がおり、その影武者が身代わりになって小栗栖で自害したという記述がある。

首実検の謎1

光秀死亡は13日深夜。首をさらしたのは17日。夏も盛りのこの時期に3日も放置すればすでに腐敗をはじめもとの顔は判別も不可能だったはず。

首実検の謎2

重臣溝尾庄兵衛は、なぜ主君の首を藪の中に放置したり、泥田に埋めたりしたのか?首級だけは敵に渡らぬよう持ち逃げるのが重臣の最低限の務めではないのか?

首実検の謎3

殉死した進士作左衛門、比田帯刀の面皮はあとで識別ができぬようそぎ落とされたというが、光秀の首は処理も細工もしなかったのか?