光秀は織田系武将の中で、軍事指揮権が羽柴秀吉・柴田勝家に拮抗すると評価されている。(谷口克弘『織田信長家臣人名辞典』)前線の秀吉・勝家軍は常に畿内から物資、人員補給で支えられていた。恒常的な兵站維持のため、統一的な軍役賦課の施行と軍規律の制定は不可欠であった。
光秀軍法はあくまでも家中の法であるが、他の織田系武将も参考にしたり、順じたものと思われる。畿内戦線の収拾、指出・検地・馬ぞろえも加えると、光秀は織田権力の重要政策を常に担当していた。織田武将中、まさに別格的存在であったといってよい。
主君信長がカリスマ化した当時、織田権力の運営・実務はいつしか光秀の手に委ねられていた。
一年後に迫る野心の発露は、彼の自負に由来していたのであろうか?
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