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歴史に埋没した明智の荘

「明智の荘」
阿井 景子
朝日新聞
平成7年6月16日付


何年か前になるが、NHK大河ドラマを見ていて驚いた。ドラマに付属するノンフィクションの画面に、岐阜県恵那郡明智町の「明智光秀産湯の井戸」が紹介されていたからである。この井戸は、明智町が町おこしのため造ったという。

だが光秀は恵那郡明智町の出身ではない。明智の地名から恵那郡明智町が光秀ふるさとのように思われているが、彼は「明智の荘」で生まれている。

明智の荘は現在の可児市と可児郡御嵩町で、居城は明智長山城である。城は弘治二年九月二十日、斉藤義竜の大群によって攻め落とされた。光秀は叔父光安のすすめで落城寸前に光春ら十余名と城を逃れている。

「秀吉が徹底的に跡を消したので何も残っておりません」
地元の人の言葉だが、その後の徳川政権も明治政府も「主殺し光秀」を忌避した。

歴史に埋没した明智の荘が地元有志の努力で駅名「あけち」に復活したのは、昭和57年。私は信長の妻濃姫の取材に出かけてそれを知った。

ちなみに恵那郡明智町は遠山の荘になる。むかしは恵那山を遠山といい、そのあたり一体を遠山の荘と称したからである。
源頼朝の臣加藤氏が地頭となって遠山の荘に赴き、遠山氏と名乗った。本城は現在の岩村町に築かれたが、明智城と苗木城が両翼をなくし、一門衆の中でも、本家に次ぐ地位の者が城主となっている。


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