***管理人のひとりごと***


私が生まれた場所は岐阜県可児市。あの戦国時代の悲運の名将明智光秀の生誕の地とされるところだ。
私は物心ついたときから父に連れられて、近所の山へ飼い犬を連れて散歩にいったのを良く覚えている。
その山は「明智長山城」だということも父に教わった。

私が生まれる前から父母は酒屋を営んでいて「明智光秀」の看板を掲げていた。私にとって明智光秀公はとても身近な存在だったのです。
学校に上がって歴史で光秀が「謀反人」と教えられた時はショックだったのを覚えています。

しかし「何故、明智光秀なのだろう?」と深く疑問に思うようになったのはもっと成人してからのことでした。
あるとき、書棚を整理していたら一冊の本が目に留まった。阿井景子さんが書いた「濃姫弧愁」という本です。濃姫とは織田信長の正室であるということを知っていたので、私は吸い込まれるように読み始めた。

すべて読み終わったとき、あとがきの部分に父の名前が記載されていることに驚いた。

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一部抜粋
光秀を討伐した秀吉は、明智荘から光秀の足跡をすべて消し去ったという。
そのため高名な学者ですら、明智光秀の故郷は「恵那郡明智」と記している。だが恵那郡明智は「遠山明智」で光秀の出身地ではない。
秀吉のあとの徳川政権、そのあとの明治政府も「主殺し・光秀」に「逆賊・逆臣」のレッテルを貼っている。
その結果光秀や、明智氏の手がかりは失われ、長山城は歴史の中に埋没した」
大正9年8月21日名古屋から鉄道が敷かれたが、駅名は「伏見口」。「明智」や「長山」では都合が悪かったのだろう。
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「長山城を、光秀を知ってもらいたい」
郷土史家・林則夫氏をはじめ地元の人々の要望で「伏見口」の駅名が「明智」に変更されたのは昭和57年4月1日である。
この日人口の増加した可児町は、可児市として発足する。
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私はこの時はじめて、「何故、明智光秀なのか?」の疑問が解けた。
そして、私自身の光秀公への興味をも駆り立てて行ったのです。
父の残してくれた財産を世に伝承していくため、明智光秀公汚名返上のため、当ページを立ち上げた次第です。

管理人:小川郁代


webページ作製のため参考にした文献
「明智城と明智光秀」  可児市・可児市観光協会
「明智光秀 ゆかりの地を訪ねて」  塩見弥一著
「明智光秀 鬼退治の深層を読む」  永井寛著 
「俊英 明智光秀」  歴史群像シリーズ  学研
「濃姫弧愁」        阿井景子著 
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