明智光秀・波乱万丈の生涯
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| 西暦 | 推定年齢 | 事項 | 光秀を取り巻く出来事 |
| 1556 | 33 | 斎藤義龍軍に明智城を追われたという関連記事:光秀55の物語「明智城主」 | 4月 斎藤道三没 |
| 1557 | 34 | 諸国遍歴の旅に出る | 11月 信長(23)弟信勝を誘殺 |
| 1563 | 37 | 朝倉義景の所望により鉄砲の演習を行い、鉄砲寄子百人を預かる 関連記事:光秀55の物語「鉄砲上手」 光秀55の物語「幕臣・光秀」 | 信長、本拠を小牧城に移す |
| 1565 | 38 | 朝倉家を出て信長のもとへ行く、という | 5月 美好義継、松永久秀が、足利義輝(30)を襲殺 |
| 1566 | 39 | 岐阜城に到着。信長から美濃安八郡4500貫拝領する | |
| 1567 | 40 | 2月9日北伊勢平定に出陣 | 9月 信長、斎藤龍興を攻め破り、稲葉山に移る |
| 1568 | 41 | 7月 信長と将軍義昭の間を仲介する 8月近江観音寺攻めの後詰めを命じられる 9月 信長と共に京都に入って連歌会に参加し六句を詠んだ関連記事:光秀55の物語「文人の顔」 |
7月 信長が義昭を越前から美濃に迎える 9月 信長が義昭を奉じて京都に入る 10月 義昭、将軍就任 |
| 1569 | 42 | 三好三人衆の攻撃を防ぐ。秀吉らと京都の政治に関与する関連記事:光秀55の物語「将軍と信長」 4月 細川藤孝と天龍寺の存立を安堵する 5月 秀吉らと等持院の天龍寺末寺なるを裁許 |
正月 三好三人衆、義昭を本圀寺に襲撃 4月 義昭、本圀寺から新第に移る 10月 武田信玄、相模に侵入。 信長、伊勢を平定 |
| 1570 | 43 | 朝日日乗とともに義昭・信長の間を仲介 4月 東寺より久世荘を横領したと訴えられる 丹羽長秀と武藤氏との交渉に赴く 9月 村井貞勝らと二条城の番につく 佐々成政と穴太の守護を命じられる この年、長子(十五郎)生まれるという |
正月 義昭と信長対立 4月 信長、越前に出陣 6月 信長・家康軍、近江姉川に浅井・朝倉軍を破る 9月 信長、下坂本で浅井・朝倉勢と対峙 11月 長島一向一揆。織田信興を殺す |
| 1571 | 44 | 7月 近江宇佐山の滋賀在城。信長より滋賀郡を与えられ、以後坂本に在城関連記事:光秀55の物語「壮麗 坂本城」 9月24日 摂津高津に出陣 この年、義昭に暇を請う。坂本に築城開始 |
4月 信玄、家康と三河吉田城で戦う 6月 毛利元就没(75) 9月12日 信長比叡山を焼き討ち |
| 1572 | 45 | 3月 信長に従い滋賀郡に出陣。木戸・田中両城を包囲 信長の命で浅井攻めに参加。湖上より敵地を焼き討ちし、竹生島を銃撃 |
7月 信長、浅井長政の小谷城を囲む 9月 信長、義昭に19ヶ条の意見書 12月 信長、家康を見方ケ原に破る |
| 1573 | 46 | 5月24日 光秀、今堅田の戦死者を弔うため、供養米を近江坂本城の西教寺に寄進する関連記事:光秀55の物語「家臣への労わり」 6月28日 坂本城で連歌会を催す 7月18日 信長に伴い義昭を山城槇島城に攻める。義昭は敗北ここに事実上室町幕府は滅亡した。関連記事:光秀55の物語「義昭との絶縁」 7月22日 信長、近江木戸・田中両城を陥れ、これを光秀に与える 9月 滝川一益らと越前の政治に関与する |
7月 義昭再挙兵、これを槇島城に破り義昭退隠する 7月28日 改元 8月 信長が朝倉義景(41)、浅井長政(29)を滅ぼす 9月 秀吉、浅井氏の旧領を与えられる |
| 1574 | 47 | 9月 佐久間信盛、細川藤孝らとともに河内に出陣、三好勢、本願寺勢を撃破する。高屋城を焼き、萱振の砦を攻略する | 3月 秀吉長浜城に入城 9月 信長、長島の一向一揆平定 |
| 1575 | 48 | 6月17日 信長、光秀に丹波・丹後両国の平定を命じ、その計略に着手させる 7月3日 信長の奏請により「惟任」の姓と「日向守」の官位を与えられる。このとき丹羽名長秀も「惟往」の姓を与えられる。 8月 信長の越前出陣に伴い、北畠信雄・神戸信孝・柴田勝家・惟往長秀・滝川一益・羽柴秀吉・原田直政らと一向宗門徒を攻める。ついで信長軍の先蜂として稲葉一鉄・羽柴秀吉とともに加賀に進出する 10月26日 長宗我部元親、光秀を通じて嫡子弥三郎の偏諱を請い、信長は翌日「信親」の名を与える。この月、黒井の荻野直正を攻める。丹波国衆の過半が光秀に一味する 12月29日 村井貞勝・光秀の名で山城西九条の名主・百姓に対し、若宮八幡宮の地子銭を督徴する。 この年以後光秀は京都の政治から遠ざかる |
5月 長篠の戦い 8月 信長、越前一向一揆を制圧 11月 信長、家督と尾張・美濃を信忠に譲る |
| 1576 | 49 | 1月 丹波黒井城に荻野直正を攻めるが、寝返った丹波八条主・波多野秀治に不意を襲われて総退却する。坂本城に帰陣する。 2月18日 丹波に再び出陣する 5月23日 石山本願寺攻めの陣中に病にかかり帰京。関連記事:光秀55の物語「光秀の重病」 7月 光秀の病平癒する。 |
正月 信長、安土城に着手 2月 信長、安土城に移る 4月 信長、顕如を石山本願寺に攻める 6月26日 信長、病の光秀を見舞う |
| 1577 | 50 | 3月1日 信長の紀伊出陣に従う。 10月1日 細川藤孝らと大和片岡城に松永久秀配下の党を攻める。織田信忠に従い、大和信貴山城に久秀を攻め、久秀父子自殺する |
6月 信長、安土城下に条規を定め楽市とする |
| 1578 | 51 | 3月 細川藤孝、惟往長秀らの援軍を得て、丹波八条城の波多野久秀を攻める。包囲作戦を展開する 4月10日 滝川一益らと園部城の荒木氏綱を攻める。摂津に転陣後、29日滝川・筒井らと播磨上月城へ赴援。 8月 娘の玉、細川忠興に輿入れする関連記事:光秀55の物語「悲運の娘達」 11月9日 信長に従い、摂津有岡城に荒木村重を攻める関連記事:光秀55の物語「村重の叛意と鬼の信長」 |
3月 上杉謙信没(49) 10月 荒木村重、反旗を翻す |
| 1579 | 52 | 2月28日 丹波亀岡城に出陣する 5月5日 信長、秀吉の請いで、光秀の援軍として諸将を丹波に派遣し、氷上城を攻略させる 6月2日 八上城の波多野秀治父子を降し、安土に送る 7月19日 丹波宇津城を攻略。ついで鬼ケ城を攻める。 8月9日 丹波黒井城の赤井忠家攻めて降す。24日、丹波氷上郡の寺・庵に布令を出し、還往を促す 10月24日 安土城に赴いて信長に謁見し、丹波・丹後の平定を復命する |
5月 安土城で日蓮・浄土両宗が宗論(安土宗論) |
| 1580 | 53 | 4月 信長の命により備中の秀吉を赴援する。 8月2日 信長、丹波を光秀に丹後を藤孝に与える |
閏3月 信長と本願寺顕如との和議がなる 8月 信長、佐久間信盛父子、林秀貞らを追放 11月 柴田勝家、加賀一向一揆を制圧 |
| 1581 | 54 | 2月28日 信長、禁裏東門外で馬揃えを催し、光秀はこれに奉行する関連記事:光秀55の物語「馬揃え」 9月4日 信長、一色義有らに丹後知行分を割き、光秀・藤孝に分与する |
2月 信長、京都で馬揃えを行う 10月 秀吉、因幡鳥取城を陥す。 |
| 1582 | 55 | 光秀天変の29日間の足跡 | |
| 5月14日 | 信長より坂本への帰国を命じられる | ||
| 15日 | 信長、安土にて家康を饗応(もてなし)〜17日 関連記事:光秀55の物語「饗応役」 | ||
| 17日 | 坂本に到着 | ||
| 26日 | 中国出陣のため、坂本をたち、亀山城に入る | ||
| 27日 | 亀山城より愛宕山に参詣。一晩こもって祈願し、社殿にてくじを引く関連記事:光秀55の物語「愛宕神社」 | ||
| 28日 | 西坊威徳院にて連歌を興行、発句を詠む。百韻を詠み懐紙を神前に捧げる。亀山へ帰城関連記事:光秀55の物語「愛宕百韻」 | ||
| 29日 | 信長、安土城を発ち入京、宿所の本能寺へ入る。家康、堺に赴き、町衆の接待を受ける | ||
| 6月1日 | 【夜】老臣と談合し、信長への反逆を決意。亀山城を出陣。山陰道を進み、京へ向かう。関連記事:光秀55の物語「決意」 | ||
| 2日 | 【未明】桂川を渡り、士卒に決意を宣言 【午前6時頃】本能寺に押し寄せ、四方から乱入。白兵戦を展開し、本能寺は炎上、信長死す。本能寺攻撃と時間差で別働隊が二条御所を囲む 【午前7時頃】誠仁親王ら退却後に戦闘開始。近衛前久邸より狙撃。炎上する御殿で信忠切腹関連記事:光秀55の物語「本能寺の変・黒幕候補?」 【午前9時頃】戦闘終了.洛中の落ち人狩りを命じる。 【午後1時〜3時頃】東海道に下り近江に向かう。山岡景隆を誘降。景隆同心せず、瀬田の橋を焼く。瀬田の橋の修理を命じ坂本へ帰城。信長の敵対大名や織田系武将らに誘降の書状を送る |
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| 3日 | 近江を攻め平定を進める。賀茂別雷神社より贈答を受ける。 細川藤孝・忠興父子、光秀に敵対を表明。羽柴秀吉、備中高松の陣で変事を知る関連記事:光秀55の物語「書状戦略」 |
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| 4日 | 瀬田の橋復旧。安土へ入城。安土城の金銀を家臣に分け与える。佐和山城、長浜城を攻略 | ||
| 5日 | 興福寺より贈答を受ける。筒井順慶のもとへ宿老藤田伝五を遣わす。 | ||
| 7日 | 勅使吉田兼見と安土で対面。朝廷の意向を聞き、誠仁親王・兼見から贈答を受ける。 | ||
| 8日 | 摂津攻略のため安土を出陣、京へ向かう | ||
| 9日 | 入京。吉田兼見邸を訪れ、朝廷、寺社に銀子を献上。兼見邸にて緒方からの注進を受け、手配を命じる。関連記事:光秀55の物語「親友・吉田兼見」 細川藤孝父子宛てに翻意を促す自筆覚書を認める関連記事:光秀55の物語「藤孝の離反」 【夜】下鳥羽へ出陣 |
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| 10日 | 河内に陣を進め、洞ヶ峠に着陣 | ||
| 11日 | 筒井順慶出陣せず関連記事:光秀55の物語「洞ヶ峠」 洞ヶ峠を撤退し下鳥羽へ帰陣。淀城を修築 男山八幡・山崎の先陣部隊を撤退させる |
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| 12日 | 秀吉、天王山を占拠し勝龍寺付近を焼く | ||
| 13日 | 【午後4時頃】戦闘開始。斎藤利三以下奮戦するも、兵力差から総倒れとなり敗北 勝龍寺城に入り、坂本城への逃走を図る。 【夜】醍醐もしくは山科あたりで農民に殺される。関連記事:光秀55の物語「小栗栖の死の謎」 |
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