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黒衣の将軍・南公坊天海


明智光秀は山崎の戦いで秀吉に敗れた後、敗走中、土民の竹槍で突かれて死んだとされていますが、実は死なずに落ちのび、生き残り、比叡山でしばらく過ごした後、南公坊天海として歴史の舞台に舞い戻ったという、非常に興味深い説でありますので、色々と調べてみることにしました。
南公坊天海とは「南公坊天海智楽院(なんこうぼうちらくいん)」と称した天台宗の僧であります。当時の仏教界においてはかなりの人物であった上に、密教・神道・道教・陰陽道・風水学にも精通していたといいます。そしてそれらの知識を活用して豊臣家崩壊作戦の火蓋を切り、家康の宗教政策を一手に担い、江戸の霊的防衛網を完成させた人物でもあります。秀忠・家光はもちろんのこと、家康でさえその意に従い「黒衣の将軍」とまで言われました。

しかし彼の素性についてはまったく明らかにされていません。
そのことが天海をよりミステリアスにしている点でもあると言えます。
生年もはっきりわからず、没年についても102、118、132、134、135説があり、驚くべき長寿であります。一般的には108歳入寂説が妥当とされています。

もし光秀の後身が天海であるとするとすれば、天海の出自が明らかでないという説明もつきますし、年齢的にも光秀が死去したのが55歳ですから、この当時の天海が47歳であったことからさほど違わないと言えます。

『天海=明智光秀』説の根拠として、光秀の木像と位牌のある慈眼寺の寺号と、天海の諡
名が同じ「慈眼」であることを挙げています。
さらに、比叡山・松禅寺には、光秀寄進の石灯籠が現在でもあります。寄進日は慶長20年(1615年)つまり光秀はす
でに死んでしまってるはずの年代です。これは光秀が慶長20年(1615年)まで生きていたことの明らかな物証であります。
また、日光東照宮の近くの中禅寺湖や華厳の滝が見える平らな場所を明知平といい、天海が命名しています。さらに日光東照宮の陽明門の入り口の脇にある二対の大礼服の随身の座像は二対とも着物に明智家の桔梗紋があります。
他にも限りない証拠が数々あるのですが、特に注目すべきは「春日の局」の存在です。それに関しておもしろい記事がありましたのでそのまま抜粋します。

関連記事:光秀55の物語「小栗栖の死の謎」
お福登用の謎

江戸幕府初期の謎に、春日の局(お福)の存在がある。この謎も、光秀=天海という真相をとおしてみるとするりととけてしまうのだ。
お福が生まれたのは本能寺の変の三年前、天正7年(1579)のこと。父斉藤利三が秀吉に処刑された後は辛酸をなめ、13歳の時、三条西実条に奉公する前,
叡山にいた光秀に養女として育てられていたに違いない。
後述するが、、慶長5年(1600)の関ケ原合戦のとき、光秀はお福の夫稲葉正成に、その主君小早川秀秋の西軍裏切りを工作させた。そしてそれこそが東軍勝利の鍵であり、江戸幕府開府の最大の功となった。

この関ヶ原合戦の功と本能寺での違約のため、家康は徳川天下取りの最大の功労者「天海」と稲葉正成の妻お福を重用し、その子である正勝を老中にまで登用、その異父弟家光を家康の真の後継者とするのである。

定説ではお福は公募という如何にも怪しげな方法で、慶長9年(1604)に登用された三大将軍家光の乳母である。しかし乳母として以上に家康に重用され、息子稲葉正勝は老中となり、養子の堀田家も代々幕府中枢を占めた。

このお福偏重の謎は、その父が光秀の甥であると共に重臣であり、本能寺の変で全軍の指揮を執った斉藤利三の娘であるという事実を考えれば、簡単に読み解ける。

家光の母とされたお江(信長の妹お市の娘)にとって、お福は伯父の敵の娘に当たる。一般的な心情としても、世継ぎを生んだ母親の責任としても、敵の娘にその養育を任せるとは思えない。ここに、天海こと光秀と家康の作為があるのである。
実は家光はお江の子ではなく、お福の子であり、その父は秀忠ではなく家康なのだ。家光の名が家康の家と光秀の光から名づけられているのがその証拠といえる。本能寺の変の違約の補償として、また関ヶ原の戦功に対して、家康はお福に家光を生ませ、後継者としたのだろう。将軍家に明智の血を入れることにより、光秀に対し具体的な礼をしたのだといえる。

文:佐宗邦皇(歴史研究家) 学研 俊英・明智光秀より抜粋

この「光秀=天海説」は意見が割れるところですが、私自身はこの説を支持しています。
ところで余談ですが、この天海が物語の黒幕として登場している人気漫画「あずみ」を楽しく読んでおりますので紹介します。

あずみ(33) あずみ(33)

著者:小山ゆう
出版社:小学館
本体価格:505円
戦国時代末期、徳川家康は将軍の座に君臨するために、豊臣秀吉の遺児・秀頼に 最後の攻勢を仕掛けていた。

敗残した豊臣方の兵の多くは秀頼が成人するのを待ち再度蜂起する夢を持っていたが、徳川陣営はその芽をことごとくつみとるべく ’計画’を遂行した。
中でも
家康に最も近いところに在った高僧、南光坊天海は、「世の中から権力奪取の夢を見る者を取り除かない限り戦が終わることはない」と考え、 この期を最大限に利用して太平の世を築くことを目的とし、反逆分子を瞬時に 亡き者とする少数精鋭の暗殺集団を世に送り出した。

その目的のために選ばれし10名の若者たち。
中でも名実ともに最高の剣の使い手と謳われたのはたった一人の女性剣士だった。それが主人公「あずみ」である。この【あずみ】の物語において、すべての黒幕とも言える人物として南光坊天海が登場しています。

左に紹介しているのは最新号です。

また、上戸彩さん主演で映画にもなりました。左の画像をクリックすると詳細が見れます。

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